このブログは、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所の金正勲ゼミのメンバーによるブログです。

水曜日, 6月 28, 2006

生井梓さんのResume

■■概要■■
 左脳・右脳はそれぞれ異なった機能を持っている。左脳は論理的思考や連続性、文字通りの解釈、分析を得意とし、右脳は統合、感情の表現、文脈や全体像の把握を得意とする。これからは、芸術的手腕、他人との共感、長期的視野を持ち、超越したものを追及する能力、つまり右脳主導思考が重要になってくる。その原因は「豊かさ・アジア・オートメーション」であり、それによって左脳主導思考の相対的な重要度が低下、右脳主導思考の重要度が増したからである。
 「理論的、そして分析的知識を吸収し、それを適用して行く能力」に優れているナレッジ・ワーカーによって推進されてきた情報経済は、多くの先進国における生活水準を高いレベルにまで押し上げた。その結果、それほど合理的ではなく、右脳的感覚に訴えるもの、美や精神性、感情といったものにより大きな価値が見出されるようになったのだ。そして現在、アジアの国々が安い働き手を生み出し続けており、ホワイトカラーが従事する左脳型のルーチン・ワークはこういった人々にアウトソーシングされつつある。先進国のナレッジ・ワーカー達は、海外の安い働き手には出来ないような新たな能力を身に着けなくてはならない。また、オートメーションによって、左脳的なルーチン・ワークはコンピューターがするようになってきている。つまり、左脳型の職業に就く人達は、機械が安く、迅速に、上手にこなすことが出来ないような能力を新たに身に付けなくては淘汰されてしまうのだ。
 次に、これまでの時代の変化を考えてみると、農業の時代、工業の時代、情報の時代、と移り変わってきた。この情報の時代で中心的な役割を担ったのが「左脳主導思考」に熟達したナレッジ・ワーカーである。そして豊かさ、アジア、オートメーションという3つの要因が浸透した結果、これからは「右脳主導思考」の人々が中心となる「コンセプトの時代」がやってくる。もちろんここでも「左脳主導思考」が不可欠ではあるが、それだけでは十分でなく、左脳主導思考に加えて新しい全体思考が必要になる。
 このコンセプトの時代に、私達は、芸術的・感情的な美を創造したり、関連性がないようなアイディアを組み合わせて斬新な新しいものを生み出す「ハイ・コンセプト」な能力と、他人と共感したり、人間関係の機微を感じとれる「ハイ・タッチ」な能力を必要とするのである。そして、デザイン、物語、調和、共感、遊び、生きがいの6つの資質はそれを代表するものであり、この「6つのセンス」こそが、新しい時代に必要不可欠な感性だ。

■■感想・議論したい点■■
・これまで私は、情報の時代こそが最新の時代で、その中でどう上手く情報を取り入れたり、利用をしたりするかと言うことが重要なのだとばかり考えていたが、それは間違っていたという事に気が付かされた。それと同時にこのままでは社会から必要とされる人材になることが出来ないのでは?と焦りも感じた。

・コンピューターを作り出しているのは人間なのに、皮肉にも自分たちの作り出した機械によって人間は仕事を奪われている。しかし、人間の能力(左脳主導的な)を超越する程の機械作り出すことが出来るのだから、おそらく人間は、この問題を解決することが出来るのではないだろうか?(もしかしたら右脳主導思考のコンピューターもいつかは作り出せてしまうのかもしれないけれど・・・そうしたら人は何をすればいいのだろう。)

・訳者解説のところで大前氏が少し触れている内容とも関連するが、これから「コンセプト」の時代が本格的に始まったら、格差はますます広がって行く一方になるだろう。この本ではどうやったらM字型曲線の上にいられるかを述べているけれど、その前提には“M字型の底辺”にいる人達の存在がある。そんな時代の中で、上に行くことも確かに大切だけれど、そういう状況をどうしたら打破できるのか、ということも重要ではないだろうか。そうでないと、どんどん弱者切り捨ての世の中になってしまって行くのでは?

・左脳主導思考のルーチン・ワークを途上国に任せてしまうことによって、そして右脳主導思考の仕事を先進国の国々が進めて行くことによって、完全に世界が先進国に都合のいいように形作られ、固定化されて行ってしまうのではないだろうか。また、先進国からのアウトソーシングが、途上国国内での貧富の差を広げてしまうのでは?
(例えるならば、常に先進国が頭、途上国が足や手)

・(大前氏の解説に関して)「カンニングOK」社会への転換、という事が書かれているが私はこれは少し違うと感じた。確かに情報はいくらでも調べることが出来るし、多くの人の意見を聞いて自分の意見をまとめる能力や、壁を突破するアイディアや勇気を持つ事は重要だ。しかし、人間は自分の知っていることの範囲でしか結局は考えることの出来ないものだと思う。だから、より良く意見をまとめられたり、より良いアイディアを考えつくためにも、ある程度の知識の蓄積は欠かせないと思う。同じ情報を与えられた中で、どう良いアイディアを思いつくか、というのはやはり知識の差なのではないだろうか?