このブログは、慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所の金正勲ゼミのメンバーによるブログです。

水曜日, 6月 28, 2006

青山貴行君のResume

<概要>
 ハイコンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代とは従来の情報社会において重要視されてきた左脳主導思考(論理的、逐次的)から右脳主導思考(感覚的、全体的)へとシフトしてきた時代のことである。そもそも過去150年を振り返ると、強靭な肉体と不屈の精神を持った工場労働者の大量生産による工業の時代。左脳主導志向を持つナレッジワーカーが牽引してきた情報の時代。そして右脳主導思考により、クリエーターや他人と共感できる人を中心としたコンセプトの時代の3つに分けられる。そして情報の時代からコンセプトの時代への転換を引き起こしたのは豊かさ、アジア、オートメーションという3つのキーワードである。先進国における過剰な豊かさが価値観の変化を生み、グローバリゼーションの進行により今までナレッジワーカーの仕事とされていたものが賃金の安いインドをはじめとするアジアにアウトソーシングされ、ルーティンワーク(ホワイトカラーの仕事までもが)は人間よりはるかに高速かつ正確に仕事をこなすことのできるコンピュータが担当するようになる。このような劇的な変化の中で生き残っていくためには、他人(コンピューター)との代替が不可能な右脳主導思考を有効に活用した仕事をしていかなければならないのである。

<感想>
 確かに筆者の主張とおりの変化が起きつつあると思う。しかし、この変化はもっとゆっくり、漸次的に進んでいくものではないだろうか?本文中にいくつかの例は示されているが、今すぐに全部のサッカーチームがお抱えの詩人を持つようになるとは思えないし、経営者が全員芸術家になるはずはない。それは10年後もそうだろうと思う。極端な例を出さずとも、この本に書いてあることは先進諸国の一部富裕層から中流階級の人々にしか関係のないことではないだろうか?コンセプトの時代が来るのは間違いないだろうけれども、一方で大量生産的な労働というものもなくならない。世界全体がコンセプトの時代になることで平均的に豊かになるのではなく。右脳主導思考を有効に活用することのできる一部経営者やアウトソーシングによって仕事を得ることができたアジア人が豊かになるのではないかと思う。依然としてアメリカが情報産業を握り(中身はインドになっていくのだろうが)アフリカをはじめとする発展途上国は貧しいままという状況はさして変化しないのではないだろうか?

<論点>
 この変化はどこまで影響を与えるのか(範囲)
 クリエーティブが求められる時代の教育について